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ミントン
トーマス・アレン「郭公8934」
多分、1873年製。アレン初作の「郭公」
当時最高のミントン窯の人気作
カップ底に等倍の郭公。底を浅くし描き易く?
1876年にウェッジウッドに移籍し同作
V.スキレーンが顕彰し、自ら?手描き
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★常時50点以上を出品中。まだ少数ですがフィギュリンも出品中(アンティーク、コレクション > 工芸品 > 陶芸 > 西洋陶磁 > ロイヤル・ドルトン)
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出品者が収集する骨董カップの中でも、最も有名でかつレア物というべき、英陶「ミントン」(Minton)の「郭公」(Cuckoo)トリオです。
ソーサーにある地球儀のマークが使われた期間は、1873年から1891年。しかし出品者は製作年をあえて、1873年ではないかと想定しました。
この郭公を手描きしたのは「19世紀で最も偉大な陶芸家の一人」と讃えられるトーマス・アレン(Thomas Allen 1831-1915年)です。彼が当時の第一級の窯ミントンに迎え入れられた年は不明だが、1875年後半または1876年初頭には、ウェッジウッドに移籍しています。だから、このマークの使い始めの年あたりが製作年であろう。それから、磁器製作の先進国、中国と日本を追いかけて進化しています。ドイツもフランスも同じですが、英国は最も遅れてスタートしています。
黎明期の絵柄にはシノワズリの花とか極楽鳥がまず採用されることが多い。人物が混じる風景も東洋風な青絵だった。何処の英陶でも必ずといっていいほど「インディアン・ツリー(インドの樹)」が登場します。
黎明期の英陶で最も完成度が高く高級磁器を製作する窯として名を成していたのがミントン。そこへ大物アーチスト、トーマス・アレンを迎え入れた訳ですから、当時の題材としてはユニークな「郭公」のシノワズリが登場し、大きな評判になったと思われる。
今回この解説で。従来いい加減な知識で書いていたのを、全面改訂し、知っている限り正確なものに書き直しました。ですからもし、従来の「郭公」に関する出品者の解説を保存しておられる方がいれば、それを破棄していただきたい。
これと全く同じトリオを以前出品しました。その際の解説が残っていましたが、実に読むに耐えない。出品者はウェッジウッドの最も古い「郭公」を手にして出品したのですが、これがトーマス・アレンのものと知らなかった。そのため、より古いこの「ミントンの郭公」を手にしたとき、絵柄が全く同じなもので、大いに当惑していたのです。
丸底の少し薄めで柔らかいウェッジウッドの初代「郭公」を手に入れた後、全く同年代に作られたと見られるおんなじ形と絵の「ミントン郭公」を手にし、混乱は極まった。
「ミントンとウェッジウッドは共同で、同じ日本画の郭公を購入して、それを元にそれぞれが手描きしたのか」なんて推測していました。笑っちゃいます。
トーマス・アレンの経歴がまず頭に入っておればネ。すぐに理解できることでした。このことを理解したとき同時に、ウェッジウッドの「チャイニーズ・タイガー」もトーマス・アレンのものだと分かりました。「何でブルーで狛犬を描いたのか」という疑問も晴れた。ミントンから「ミントン・ブルー」と「日本風味」をアレンがウェッジウッドに持ち込んだことも。
戦前に若くしてアート・プロデューサーとしてウェッジウッドに入社した天才、ヴィクター・スキレーンが、戦後の1950年からピーター・ウォールと女流のミリセント・タプリンを率いて、転写時代のカップのパターンを大増産してウェッジウッドが世界一のブランドに成長する礎を築いた。
そのスキレーンは入社前の美術学校製時代に既にその天分を見出され、「郭公」「チャイニーズ・フラワー」や「ダマジカ」など多くのフル・ハンドペイントの名作を十代後半で自ら描いています。郭公は背景に数色あって、スキレーンが最も力を入れた感じです。転写時代にはデザイナーとしての天分を発揮したスキレーンですが、この増産時代にも、アレン作の「ゴールド・グリシャン」のレプリカを作っています。スキレーンはトーマス・アレンに憧れていた。アレンの作をフル・ハンドペイントで後追いし、彼のような手描きアーチストを目指していた。
ウェッジウッドの「郭公」は、スキレーンの手描きに引き継がれ、そしてウィリアムズバーグの華であった柿右衛門風「郭公」に引き継がれ、ティー・ガーデン「郭公」で終わります。
中だるみした感のあるウェッジウッドに活を入れたウィリアムズバーグ・シリーズは、トーマス・アレンとヴィクター・スキレーンを顕彰するデザインであった。
アレンのチャイニーズ・タイガーを、旧サイズから少し大きくなった「ウィンザー」シェイプにゆったりとリライト。また、「郭公」を柿右衛門風に色付けして新鮮なものにした。「郭公」はアレンとスキレーンが作ったから、どちらかをリライトするわけにいかず、柿右衛門風の色付けにして、これが成功。
「ビアンカ」は多分、ミリセント・タプリンが残した絵を使ったと出品者は考えている。「チャイニーズ・フラワー」はスキレーンの手描き作からシンボル的赤い花を。
これらをリライトして3人の先人を顕彰したウィリアムズバーグのデザイナーの腕は大したものです。
コピーは先人に失礼だが、前作を蘇らせる「リライト」は難しい。この時のデザイナーの名を知りたいものですが。
ウェッジウッドの歴史には多くのアーチストが登場します。出品者が解説するものにそうした有名アーチストが登場しないんは何故かと言えば、彼らはほとんど、カップや食器類を作っていないからです。手描き時代の窯の高級品と言えば、大きな壺や水挿し、或いはフィギュリンでした。
トーマス・アレンにしても、ウェッジウッド博物館などに飾られる代表作と言えばカップやディナーウェアではなく、大きな壺類です。食器は芸術品ではなかった時代が長かった。
カップやディナーウェアが庶民化し、大量生産して窯の稼ぎ頭になったのは21世紀に入ってからでしょうか。食器が主流の売れ筋になって、アーチストやデザイナがーここに集中配備されるようになった。だから、カップ作りで名を成したアレンジ代のアーチストは限られるわけです。
「郭公」に戻しましょう。出品者がこれまで手にした「郭公」は、このミントンの最初と見られるもの。続いて、アレンがウェッジウッドに移籍して作ったやや薄味と言うか、シノワズリ味を薄く、日本画風味がやや濃くなったタイプ。そしてスキレーンの手描き。ウィリアムズバーグの柿右衛門風。
同じ丸底、同じ絵でウェッジウッドとミントンに同時期に出来た「郭公」があり、これで混乱するのですが、ピーター・アレンがミントンから移籍するに当たり、両窯で同時期に同じシェイプで同じ「郭公」を作った。移籍で「郭公」を持参するに当たってアレンがミントンに仁義を切った。そんな事情であったのではないか。
つらつら述べてきた解説に間違いはなかろうと思うのですが、どうだかネ。同じエナメル顔料で描いたアレンとスキレーンの「郭公」。
スキレーンは古典的なシノワズリを学んで得意としていたようで、彼の「郭公」を見てからアレンの「郭公」を見ると、アレン作が日本画風に見えてきます。
このトリオのサイズは次の通り。
カップの高さ5cm、口径8cm。ソーサーの直径が12cmで深さが2.5cmあります。サイドプレートは直径15.8cm。ゴールドエッジは使っておらず、茶系の顔料エッジ。白い背景で、郭公と花はくっきりきれい。スレもなく、偽物のごとくピッカピカ。
トーマス・アレン
トーマス・アレン(1831-1915)は、19世紀で最も偉大な陶芸家の一人でした。彼はサマセットハウスとサウスケンジントンで勉強しました。ストークオントレントに戻ると、彼は最初にミントンの工場に雇われ、1875年後半または1876年初頭にウェッジウッド(古いエトルリアのサイトに拠点を置く)に加わりました。アレンの影響下で、スタジオとアートの出力と範囲陶器は大きく成長し、彼は特に新しい食器デザインの生産で有名でした。
ウェッジウッド博物館は、セラミックと紙の両方で、IvanhoeパターンなどのThomas Allenの最も重要なデザインのいくつかを強調していることを誇りに思っています。展示では、彼と一緒に働いたデザイナーへの彼の影響も紹介されます。
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