9世紀に嵯峨天皇の離宮として建立され、
その後宇多田法王らが院政を行った嵯峨御所(南朝・大覚寺派}の御用鑑札を新たに発見しました。

小千谷の旧家と和歌山九度山真田昌幸・幸村の宝物資料館に所蔵されているものと同じものです。
※「嵯峨御所御用鑑札」で検索してみてください。
落札価格にかかわらず、落札者様にお譲りします。
お支払い後、翌々営業日までに発送します。
入札の取り消しは一切行いません。



(2022年 9月 21日 17時 16分 追加)
嵯峨御所からの鑑札板発見の顛末 参照「『小千谷文化』第182号・第183号(合冊)から」
 今号の表紙は,片貝山屋町の安達元春さんが所蔵している嵯峨御所から発行された御用鑑札である。この御用と墨書された木札が見出されたことに感激し、広く皆様にご紹介できることを大変嬉しく思う。
 ご当主の安達元春さんは「むかーし、おらとこは権蔵と言う者がいて,十手を持って,たいそう片貝では幅を利かせていたそうで…。少し短めの大小の刀も有ったし、幕府の御用板もありますて…、確か菊の紋が入っていたようだが…」と話されたことが事の発端である。
 「えっ、御用板、菊の紋が入った?」と聞き直し,とっさにあることが頭に浮かんだ。驚きと大きな興味で胸が高鳴り,「御用板ってどんなものですか」と問い返すと、「これくらいの木の板に御用と書かれていますて…」と安達さんは,板の大きさを手振りで示された。
熱を帯びてきた二人の会話は続き「菊の紋のようだがな…」と安達さんが再度口にされたとき,私は心の中で「オッ コレハ」と叫んでいた。ピンと来るものがあったのだ。
「もしかして嵯峨御所と書いてあるのでは?」とたたみかけた私に「いゃ?」と首をかしげ,「よし、俺、じぁこれから家に取りに行って来る」と言って立ち上がり,タバコの火を消し急いで吹雪の中へ出て行ったのだった。
 一時間ほどしてから,安達さんが「御用板」の包みを抱えてて現れた。開口一番「おまえさんが言うとおり、嵯峨御所と書いてありましたて…」と。私は夢にまで見た『嵯峨御所 御用 鑑札』を目にし,正に感激の対面であった。
「『小千谷文化』第182号・第183号(合冊)から」


(2022年 9月 21日 18時 10分 追加)
この御用鑑札の裏面が画像で出るのは本邦初めてのことではないかと思います。