安政5(1858)/平安期の医心方 丹波康頼後裔 医道長・丹波頼徳筆の医道入門許状・肉筆印章
文書サイズ 横約45×縦幅約32.5cm。
紙本。墨書き。肉筆。印章押印。
たとう付き。箱の蓋のみ。
安政5(1858)に出された平安期の医心方 丹波康頼後裔 医道長・丹波頼徳筆の医道入門許状です。
現在の医師免許のようなものでしょうか。
傷みのあるたとう付きで、箱の蓋のみ残っていました。
『医心方』(いしんぽう)は、わが国に現存する最古の医学全書で、隋・唐の医書を集成して
全三十巻から成り、中世に至るまで宮廷医家に重んじられた医学書です。
永観2年(984)に宮中医務官を務めた丹波康頼により撰進されました。
同書は、長らく宮中に秘蔵されていたが、室町時代後期の天文23年(1554)に正親町天皇から
典薬頭半井光成(瑞策。和気清麻呂の後裔で和気朝臣姓)に下賜され、以後は半井家に伝来した
もの(「半井本」)であって、大部分が平安時代院政期の写本で国宝となっています。
丹波康頼とは、平安中期の官人で生没が912~95年、享年84歳とされており、撰進の永観2年(984)
当時は、「従五位下鍼博士兼丹波介」の官位にあり、丹波宿祢康頼と見えます。
官位は従五位上左衛門佐に至ったとされ、康頼のときに宿祢賜姓があったことも知られる。
丹波康頼の後裔からは名医を輩出し、代々が典薬頭・医博士・侍医や施薬院使などの医官を歴任し、
和気氏とならんで医道を世襲した。その嫡流とされる堂上公家の錦小路家や地下の小森家などや、
江戸幕府の医官をつとめた多紀家(半井家と並ぶ幕府の最高医官)があるが、豊臣氏番医の筆頭の
施薬院全宗も後裔とされる。丹波家や多紀家においては、幕末までに同書の多くが失われていたとされる。
錦小路(にしきこうじ)家は、丹波氏嫡流とされ(丹波朝臣姓)、堂上公家としての家格は半家、
家業は医道でした。典薬頭丹波重直の子で、室町時代中期に活動の錦小路幸基(初、頼直。典薬頭正三位)
を祖とする。十六世紀中葉の第五代刑部卿盛直の後に百五十年ほど系が中絶するが、江戸前期、十八世紀
前葉に同族の宮内大輔小森頼季の子・頼庸(典薬頭従四位上)が入って、錦小路家を再興し堂上家とされる。
幕末の錦小路頼徳(従四位上右馬頭)は尊皇攘夷派として活躍し、「八月十八日の政変」で失脚して三条実美
らと共に長州に下った七卿落ちの公家の一人である。
明治維新後には華族に列し、家格は子爵家であった。
本文書には「医道長上丹波朝臣」とあり、「丹波頼徳」の印章が押されていますが、丹波流医道を継承した
「従四位上 錦小路頼徳」と思われます。
たとうには、上奏者の名前と思われる「源吉□」の名が書かれていますが、不詳です。
箱の蓋のみ残っています。
珍しい幕末期の医学資料です。
文書は、時代うすヤケ、時代なりの古び、たたみ目一部傷みなど少しはあります。
たとうは、時代傷みあり、箱の蓋のみ残っています。
地元うぶ出しの安政5(1858)に出された平安期の医心方 丹波康頼後裔 医道長・丹波頼徳筆の医道入門許状
と見ていますので、分かる方、多少の時代古び、時代傷みなど承知でお願いします。
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