赤倉沢から菖蒲沢までは現在の地図にも記載されていますが、龍峰沢以下の六沢は明治以降の地図では確認できません。地形の変化によって消失したのか、それとも最初から架空の地名であったのか、今後の研究が待たれます。
縄文人に貨幣の概念があったかどうかは未確定ですが、物々交換を効率よく進めるための代用貨幣が存在していたとしても不思議はありません。今のところ他の縄文遺跡での同種貨幣の発見はなく、祭祀遺跡特有の絵銭に相当するとの見方もあります。
表のデザインは有名な遮光器土偶の顔を想起させます。遮光器土偶が多く産出された亀ヶ岡遺跡は3000年前から2400年前です。大山勝山遺跡の方が時代は古く、この縄文金の様式が遮光器土偶のデザインに影響を与えたと考えられなくもありません。
今回は委託品です。表の模様は共通のようですが、それでも一枚一枚微妙に表情が異なります。手作りだけが理由ではなく、何らかの意図があって故意に変えていると指摘する識者もいます。また、裏の刻みによって鋳造(奉納?)された沢が特定されるとのことです。傷や汚れなど状態についての詳細情報は画像でご確認ください。撮影の際の光の量によって実物と違った色に写ることがあります。タイトルに記載した量目は写真撮影の際に先方(委託者)宅で測定した値です。計量器の誤差は0.2g以内と聞いています。とりあえず本物と信じて購入したそうですが、入手以来一度も鑑定に出したことがなく、トラブル防止のためあえてレプリカす製品として出品させていただきます。開始価格は買い値の十分の一以下とさせていただきますので、古代史にご興味をお持ちの方のご入札をお待ちします。高騰防止のため即決価格をご用意しました。自己紹介欄にオークション休業日を記載させていただいております。お手数とは存じますが、ご入札前にお読みいただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。